「心霊」は「ファンタジー」であり “ 可能性 ” である
私の「心霊」への想い
地球の “ 世界 ” や宇宙の “ 世界 ” など、科学的に “ 見える世界 ” のことを考えることが好きですと、科学的には “ 見えない世界 ” のことを考えることも、私は好きでして★
「心霊」のこともかなり好きで、小学生のときの一時期は「心霊写真」や「怖い話」の本もめっちゃ読みまくっていました。
普通に怖いものは怖いし、夜に見ると窓のカーテンの隙間をキッチリ閉めちゃうくらいビビりです。
また、私は100歳以上生きることを大事にしています。
ですので、無礼さで寿命を縮めたくないので、見えないものに対する敬意はそれなりにちゃんと大切にしようと、
ふざけた気持ちで心霊をとらえることはしないように努めてきています。
「現実」をどっぷり頑張っている今も、ちょいちょい「心霊」への探究はやっています。
私は「心霊」は全く見えませんし、「心霊体験」も特に認識した覚えはありません。
そして、「霊感」も特に持ち合わせているとは思えません。
見えるなら、じぃちゃんやばぁちゃんとかこの世を離れた親しい人を見れる可能性があるのになぁ~っと、もし見えるならの楽しみを想像することがあります。
見えないし感じる力も乏しいのに、私が「心霊」へ想いを持つワケは…
私はどちらかというと母似です。
母はかなりのビビりで、やや天然ながら妙に現実主義で、心霊などの類いを見えている様子はありません。
一方で父は、14才でバイクを乗り回していたほどのいかつさながら、心霊などの類いが見えるようでして。
別にそれを何かに活かすことはしていませんが、いろんな気配を感じ取ることに長けているのか、言葉が通じない幼児や動物と戯れ、好かれることが上手かったりします☆
母が父を愛したように、私も父のそんな目に見えない能力を無意識に憧れのように感じ取った結果が、私の「心霊」に関心を持っているワケなのかも知れません。
また、母の実家も父の実家もすぐ近くに墓地があり、幼いときからお墓はとっても身近で、毎日のようにお墓にも仏壇にも手を合わせていたので、両家共に霊的にはタフさがあるように思えます。
両家の霊的タフさと母のビビりを受けて、霊的な刺激を安心感を持って楽しんでいる一面もあるのかも知れません。
加えて、霊感のある父に似ている妹にも「心霊」の影響を受けました。
妹は空気感の読みに長け、本当に人渡りが上手く、幼い頃から言い寄ってくる男性が尽きたことが無いくらいの惹きの強さで、現在は3児のママさんです。
私の無いものをいっぱい持っていて、両親の良いところを全部取りしているくらいですが、私はその妹が大好きですし、大尊敬しています。
その妹が読んでいた少女漫画の雑誌に、妹以上にハマってしまったことがありました。
その雑誌には、結構いろんな作品に霊的なストーリーが美しくコミカル描かれていました。
そんな作品に触れたこともそこからも心霊を素敵なファンタジーのように美化してとらえる、私のマインドをつくることにもなっています♪
「心霊」は「現実」に対する非日常の可能性の扉のひとつ
「霊感」を持っていることは、多くの可能性を手にすること
地理学をやっているとより分かるのですが、
旅行が “ 住んでいる世界 ” から離れることで、非日常が詰まった “ 自分の世界を拡げる扉 ” のようになっています。
同様に、心霊もある意味、 “ 住んでいる現実 ” から離れることで、非日常が味わえる “ 自分の想像力を拡げる扉 ” ファンタジーの世界の方でとらえています。
私は「心霊」は見えません。
「心霊」が見えることでの不都合を考えると、無理して見えるようになろうともしてはいません。
しかしながら、見えたら見えたで、科学的に解明されていない・されにくいことの境地を体感できるということ。
もし、私が「霊感」を身に付けられるとしたら。
それは、ある意味 “ 素敵な可能性を手にすること ” である。
と、見えない人の無責任な意見かもですが、そうかなりプラスに考えています☆