「空間」と「宇宙」について考えてしまう “ 問い ” について
今回は、私にとって想像して楽しいけれども考え過ぎてはいけない「問い」について
「問い」その①:空間がどうやって(なぜ)存在出来ているのか?
科学系の学問はそんなに成績は良くありませんでしたが、浅くちょっとだけ広めに科学の知識を得ることはかなり好きです。
学生の頃は、岩石鉱物・天体宇宙・生物植物についての本も、よく好んで眺めて楽しんでいました。
小中高、それぞれの学生時代で科学的な思い出もあります。
小学生時、父が操縦するバイクの後に乗せてもらい、佐賀県の山々で、黒曜石や花崗岩を始めとする岩石採集をしたり。
中学生時、お年玉を貯めて買った天体望遠鏡で月の満ち欠けの写真を撮ったり。
高校生時、地元の海・伊万里湾に生息する天然記念物のカブトガニを主力研究題材とする生物部で活動したり。
私にとって科学は身近で、かつ探究心を掻き立てられる存在でした。
だからでしょうか。
“ 宇宙がどこまで続いているのか ”
“ 宇宙に果てはどうなっているのか ”
という、解明がほぼ不可能とされる話題も、保育園児のときからふわっと関心があり、
専門家では無いながらも自分なりに納得のいく答えを求めています。
年に数回程度の頻度でリアルタイムな科学の進歩を簡単にチェックし続けています。
「 空間がどうやって(なぜ)存在出来ているのか?」
小さな頃から考え続けているこの問いには、いまだに答えが出ていません。
「問い」その②:「果てがない」という概念と「果ての外側」とは?
私は、この「世界」の成り立ちを把握することを好みます。
それは地球の「世界」だけでなく、地球外の「世界」についてもかなり探究心があります。
「宇宙は拡がり続けている」
「宇宙が創成される前(ビッグバン前)は“無(何もない)”の状態」
「宇宙の大規模構造」
など、有力とされる説で「宇宙」のことを知ることで、「宇宙」のことはふわっと無理矢理納得させることは何とか出来ています。
しかし、私にとって更に想像して気持ち悪くなるくらいの疑問が、
「果てが無いという概念をどう理解すれば良いのか?」
「仮に宇宙に果てがあるとしたら、その外側は?」
果ての外側の広がりとなると、一体どう思い描いて理解すれば良いのか…
「宇宙が創成される前は “ 無 ” で、宇宙に外側があるとしたらその外側も “ 無 ” 、『何もない』と考えてください」
という説も耳にしましたが、その “ 無 ” もどんなもので、その “ 無 ” 状態こそ果てなく続いるとはどういうことなのか。
そこまで思いを巡らせると、結局何かが存在すること自体が不思議なことのように思えて仕方ない。
そんな訳の分からない思考に陥ってしまいます。
説明が難しいし、そのことを深く考えている人が周りにいたとしてもどう共有すれば良いかも難しいので、基本は自分の中に留めて、たまに想像するくらいにしています。
「空間」や「宇宙」など、広大なことに対して、深い「問い」が私にくれるもの
たまに想像しては、頭をリフレッシュさせ、考え過ぎて「奇妙な世界」でも見たかのような、ちょっと気持ち悪い状態になる。
そして、「奇妙な世界」から「現実の世界」に意識を戻すと、存在出来ていることの不思議さと、日常を生きていることの有り難さを再認識します。
そして、気合いが入るって程ではありませんが、
「まぁ~自分の努力で何とかなることを頑張っていきますかぁ~」
って、軽い再起動がかかります。